この世には、食べ物も水も摂らずに生きられる人が少なからずいるそうです。実際にお会いしたことはありませんが、テレビや書籍でそんな人たちの存在を知って、非常に興味が湧きました。
食べないと生命維持ができなくなるのでは…と気になりますが、昔は尻尾があった人間が進化して尻尾がなくなったように、肉体というものは、色々変化するものだとは思います。
空気中から栄養を取り入れることが出来るのか
数年前にテレビで紹介されていたのは、外国人のおじさんでした。「特にお腹が空かないから、食べも飲みもほとんどしないのだ」ということで、数年ほど、少しのお水を飲んで生活しているようでした。この人については、NASAが研究を始める、なんて言葉で番組が締めくくられていましたが、確かに宇宙空間に行った時などに食べなくて済むのなら色々便利ですね。
このおじさんは、空中の窒素を体に取り入れる力があるのではないか、と番組では推察していました。窒素はDNAやアミノ酸の構成成分となる栄養素です。
そして昨年、今度は日本のとある弁護士さんが書いた『不食という生き方』(秋山佳胤・幻冬舎)という本を、本屋さんで偶然目にしました。正確には、場の空気を読んでお付き合い程度に飲食はされているのですが、基本飲まず食わずという生活を8年送っているそうです。
この方は、空気中の「プラーナ」を体内に取り入れている、と述べていました。プラーナとは日本語で言うと「気」のことだそうです。空気中の窒素などの栄養素かな? という感じがしますが、そういったものを「食べている」ので、お腹が空かず、元気でいられるのだと。
不食は究極のダイエット法:食べないことによる効能とは
いわゆる普通の食べ物を食べないでいると、食べて分解することに使われるエネルギーを使わなくて済むため、頭が冴え、睡眠も短くてすみ、また、食べるために費やす調理や後片付けなどの時間もなくなり、本当にやりたいことに時間を使える、とも述べておられました。
しかも、飽食で残飯がたくさん捨てられる現代においては、「不食」はとってもエコなんですよね。また、人間の体は本来は飢餓に強いそうですが、過食には弱いそうです。昔、我が家にあった湯呑に書かれた文言にも「食べ物が少なくて死ぬ人はいないが、食べ過ぎて死ぬ人はいる」といったものがありました。
アフリカなどの、衛生状態も悪く、政治が不安定で、生まれた時から飢餓に悩まされている子供たちなどの特殊な環境はまた別な感じがしますが、やはり腹いっぱい食べる人より、少食の人の方が病気になりにくいと感じます。
当たり前の話ですが、普通に食べ物としてあるものを食べずに動き回っていれば、体重は落ちます。「不食」は究極のダイエット法と言えると思います。
ダイエットは一時的なもの、そして苦痛を伴うものであり、「不食」とは違うと筆者は言っていますが、ダイエット本来の意味の、健康や美容のために食事の質や量を見直して制限する、ということにはかなっているかと。「不食」を実践している人は、苦行をしている訳ではなく、体の欲求に従って不食なのだそうです。
なので、著者も無理に不食を勧めている訳ではなく、今までの食生活から不食に切り替えるにしても、突然に不食になるのではなく、まずは乳製品や肉食を減らしていき、続いて玄米菜食に切り替え、慣れてきたら、野菜と果物だけを摂る生活にして、その後は果物のみを食し、さらにフルーツジュースのみを食する生活に…と、徐々に食べる物の質を変え、少食から超少食にしていって、不食への道を辿るとよいそうです。
私にもできるかも……
私は20年ほどお肉は食べない主義で、乳製品もあまり摂っておらず、1日1食生活も数ヶ月間経験したことがあるため、「不食」をやれそうな感じがします。しかし、かかりつけの歯医者さんに「不食が出来る人はそういう体質なのであって、あなたが同じ体質とは限らないから絶対にやめて」と言われました…。
もしかしたら、そうなのかも知れません。が、そうではないかも知れません。食べ物にお金と時間をかけなくて済む!というのは、とても魅力的です。不食の人は世界に4万人位いると言われています。『不食という生き方』の著者は、10万人以上いるのでは、と推測しています。
本の中には、元裁判官の人で『食べない、死なない、争わない』(稲葉耶季・マキノ出版)という本を出版された不食の方も紹介されていました。「食べないから健康、死なないから幸福、争わないから平和」なのだそうです。
確かに、「食べないと健康でいられないから死んでしまう。死なないためには食べ物を買うお金を稼がないと。そして稼ぐためには競争に勝たないと」と、世の人は思い込まされている節があります。その行き着く最後の形が「戦争」なのかと感じます。
「不食」という選択肢もあると思うと、ちょっと気が楽になります。
個人の体質もあるかも知れませんが、現実に不食の人がいて、健康法のひとつでもあり、エコで他の生き物を殺さず、「気」を取り入れて、自らも「気」を出して循環させて生きている…というのは、「霞を食べて長寿である」という「仙人」を思い起こさせます。仙人って、本当にいたのかも知れません。
年末にそんなことを思い、なんだか縁起の良さを感じてしまいました。