インタビュー・体験談

変形性股関節症でも楽しくマラソンができるようになった〜マインドセット編2〜

☆トライアスロンデビュー・・その後☆

1977年7月に鰺ヶ沢でデビューし、完走することができたトライアスロン。

その年はこの1大会だけの参加だった。

 

1978年は大会開催が増えて3大会に参加できた。

昭和記念公園でのレディーストライアスロン大会(距離25.75km)

茨城県潮来トライアスロン大会(距離43km)

青森県鰺ヶ沢トライアスロン大会(距離51.5km)

翌年は、トライアスロンの練習量も少しづつ増えて、潮来では女子総合3位

鰺ヶ沢では女子総合で優勝することができた。

 

練習すれば、しただけ結果がついてくるのが面白くて、トライアスロンにのめり込んでいったのだ。

 

 

☆実践トレーニングが大好き☆

トライアスロンという競技の特性上、3種目のトレーニングが必要になってくる。
出来れば競技順に行うのが良いのだが、プールを使用できる時間帯が限られているので、なかなか思うようにはできなかった。

という訳で、3種目できなくてもせめて2種目だけでも続けて行うようにした。

バイクとランを続けて行うと、かなりの時間がかかり、ストレッチや筋トレに時間をさくことが難しかった。
若かったので、何事もなく数年は実践だけでパフォーマンスはあがっていった。

5年後には、佐渡トライアスロンのミドルの大会(距離130km)に参加することになった。

DSC03609

佐渡トライアスロンバイクコースの大野亀Z坂

 

この時のバイクは100km以上の距離でますます実践トレーニングに時間がかかるようになった。

その2年後の1993年に佐渡のロングディスタンスの出場が決まったのだ。

 

☆初のロングディスタンスの挑戦☆

佐渡はトライアスロンを行うものにとっては、宮古島とともに憧れの大会だ。

総距離238.195km

さすがにこの時は、所属していたスポーツジムのトレーナーに相談してトレーニングメニューを組んでもらった。

これが本格的な筋トレとの出会いである。

トレーナーからの指示は、必ず筋トレを行ってから実践トレーニングに入りなさいというものだった。

その時は何も考えずに、言われるままにもくもくとメニューをこなしてトレーニングをおこなっていた。

若かったので、代謝も良く、食べても食べても瞬く間に体が絞れてきた。
あまりに痩せるので、病気を疑うほどだったが、体調は今までにないほど良かった。

佐渡大会の開催は9月。

7~8月の昼間のバイク練習は、熱中症になりそうな暑さだ。
外での練習は早朝と午後は4時過ぎからにした。

昼間は室内でローラー台で練習で、インターバルなどを行った。

時には室内だけで、100km乗ったこともあった。
そうして一番苦手なバイクに多くの時間をかけて練習した。

 

☆初ロングはデュアスロンに・・☆

満を持して臨んだ佐渡のロングは、悪天候でスイムが中止になった。

なんとスイム4kmの代わりに第1ラン8.6km、バイク192km、最後のラン42.195kmと合わせて総距離242.195kmという日本最長のデュアスロンになってしまったのだ。

1日中雨だったが、雨のおかげで暑くなく快適に最後のランまで終えることができた。

ゴールした後の達成感と解放感は、ショートと比べようもく大きなもので、レース後は寂しさまで感じてしまった。

結果は年代で1位になることができ、副賞にお米30kgをいただいた。

これで、ますますトライアスロンにのめり込んでいった。

 

☆レース後の油断で・・☆

佐渡大会で運よく2年連続年代で優勝することができた。

レース後も体調が良かったので、疲れた筋肉を手入れすることもなく、休養もそこそこにバイク練習を再開した。

レースから間もないある日、バイクに乗り、最後の上り坂でダンシングして登り切ろうとした時だった。

突然ハムストリングに痛みが走った。

疲れがとれないうちに、酷使してしまったせいで痛めてしまったのだ。

カラダのメンテナンスを怠ったせいだと思い知らされた瞬間だった。

ABOUT ME
星野美智子
星野美智子
痛い!がすべての始まり わがままシニアの独り言